コインロッカー・ベイビーズ 3

635B2085-8500-4F42-84C2-B5B663E9F167.jpegハシは無口なキクと違って中学高校と人気者だった。友達を作るのがうまかったし、ハシは誰にでも優しかった。キクは陸上競技で活躍したが、球技など他人と協力してゲームを進めるスポーツは全くできなかった。ハシが至福感を音に求めたように、キクは高校に入るとすぐ棒高跳びを始め、ある高みを越える自分を想像して、何かと溶け合おうとした

昔ガゼルから教えてもらった「ダチュラ」
キクの「ダチュラ」はアネモネの「鰐の王国」と響き合い、どこかに明るさと希望を内包する

神経兵器ダチュラはプリンストン大学の脳科学者であるシュベルツエンベック博士が明らかにしたとこによると、海軍科学兵器研究センターにおいて囚人兵を対象に極秘裡に行われた人体実験で、十三例の報告が残っている。「ダチュラ」の服用者はかつて地球上に現れたいかなる凶悪な人間よりもはるかに性質の悪い、回復不能の狂人となる。精神異常者の犯罪は、そのほとんどが誇大妄想の恐怖に耐えきれず、逃れようとして為されるのであるが、ダチュラ服用者にあっては恍惚境における現実参加の意志の唯一の具現として為される。その恍惚感は阿片がもたらす既死の至福ではなく、爆発的な感覚の昂揚であるという。つまり、分裂病や強度の躁病患者等に見られる「失われた現実に対する復讐」とは根本的に違うのである。「ダチュラ」を服用するとまず記憶を完全に喪失することから始まり、想像を絶する恍惚に包まれる。服用者は絶大な快感の中で破壊を開始する。瞳孔が拡がり、緑色の泡を吐き、筋肉が鉄のように硬く強くなるという。目に入るものはすべて破壊し、生物を殺し続ける。殺されるまで止めない。殺す以外に彼を制する方法はない。1989年のケルン協定はダチュラを地上から消滅すべしとうたっている。だが、現実には固形、液体、ガス状の完成品合わせて三トンのダチュラは、消滅ではなく封印されたに止まっている。ほとんどのダチュラは海中に沈められた。(p169〜p170)

看守が二人面会室に入ってきて、キクの両腕を掴んで引き摺り出した。ニヴァは立ちつくしている。キクは廊下を引き摺られながら、一体どうしたって言うんだ、と呟いた。あいつはあいつなりに必死なんだ、とキクは思った。ハシが可哀想でならなかった。怒りが込み上げてきた。会ったこともないような奴らがよってたかって俺たちに勝手なことを言う、そうだ、何一つ変わっていない、俺たちがコインロッカーで叫び声をあげた時から何も変わっていない、巨大なコインロッカー、中にプールと植物園のある、愛玩用の小動物と裸の人間達と楽団、美術館や映写幕や精神病院が用意された巨大なコインロッカーに俺たちは住んでいる、一つ一つ被いを取り払い欲求に従って進むと壁に突き当たる、壁をよじのぼる、跳ぼうとする、壁のてっぺんでニヤニヤ笑っている奴らが俺たちを蹴落とす、気を失って目を覚ますとそこは刑務所か精神病院だ、壁はうまい具合に隠されている、かわいらしい子犬の長い毛や観葉植物やプールの水や熱帯魚や映写幕や展覧会の絵や裸の女の柔らかな肌の向こう側に、壁はあり、看守が潜み、目が眩む高さに監視塔がそびえている、鉛色の霧が一瞬切れて壁や監視塔を発見し怒ったり怯えたりしてもどうしようもない、我慢できない怒りや恐怖に突き動かされて事を起こすと、精神病院と刑務所と鉛の骨箱が待っている、方法は一つしかない、目に見えるものすべてを一度粉々に叩き潰し、元に戻すことだ、廃墟にすることだ、(p449 函館刑務所面会室 ハシとニヴァが来て)

タクシーが消えた道路の向こうに、十三本の塔が現れた。塔は熱気を孕んで霞んでいる。オレンジ色の塔の光が塔の先端で点滅する。太陽に照らされてその光は弱々しい。遠くからだと塔の群れは身を寄せ合って喘いでいるように見える。夏に溶かされた柔らかな箱の群、漂うミルクの匂い、あの箱の一つ一つに赤ん坊が閉じこめられている。キクは荷台の革ベルトをゆるめ、鞄を開けた。ガスボンベを確かめる。アネモネはスロットルを引き絞った。オートバイは街に架けられた長大な橋を、彼方の塔に吸い込まれるように突っ走る。何一つ変わってはいない、誰もが胸を切り開き新しい風を受けて自分の心臓の音を響かせたいと願っている、渋滞する高速道路をフルスロットルですり抜け疾走するバイクライダーのように生きたいのだ。俺は跳び続ける、ハシは歌い続けるだろう、夏の柔らかな箱で眠る赤ん坊、俺たちはすべてあの音を聞いた、空気に触れるまで聞き続けたのは母親の心臓の鼓動だ、一瞬も休みなく送られてきたその信号を忘れてはならない、信号の意味はただ一つだ。キクはダチュラを掴んだ。十三本の塔が目の前に迫る。銀色の塊りが視界を被う。巨大なさなぎが孵化するだろう。夏の柔らかな箱で眠る赤ん坊たちが紡ぎ続けたガラスと鉄とコンクリートのさなぎが一斉に孵化するだろう。(p552 アネモネの運転する250ccのオフロードバイク、ガスボンベの入った鞄を荷台に括って)

ハシは爪の燃える匂いを嗅いだ。強く匂った。軽い目眩がした。穴を掘り終え犬の後肢を掴んだ、その時だ。体が恐ろしい勢いで膨張していくような感覚に捉われた。・・激痛に引きずられ・・目を開けていられなかった。頭に触れた。穴があいていないか確かめた。熱い油をドロドロとあとからあとから注ぎ込まれるような感じがしたからだ。油は火のついた動物の脂肪で、血流を早め筋肉に張り付き痙攣させ全身を固くした。太腿が熱を持っている。我慢できないほど熱い。ハシは目をつぶったまま走り出した。・・・ハシは巨人になった気がした。・・座っている妊婦を小指の先で殺せる気がした。・・引き裂くのだ、裂いてやる・・アスファルトから腰へと突き上がってくる快感・・髪を掴んでいた左手を女の上顎にかけた。・・圧倒的な至福感・・女の唇が僅かに裂ける。その時、ハシはビクンと体を震わせた。心臓の鼓動を聞いたのだ。・・・・ハシは自分を産み捨てた女の胸を引き裂いた。内臓を掻き分けてその中に入った。ヌルヌルとして暖かく、濡れてヒクヒクと収縮する赤い塊りがあった。心臓だ。とうとう見つけたぞ、ハシは叫んだ。この心臓の音だったのか、僕を産んだ女の心臓の音だったのか、僕は空気に触れるまでずっとこの音を聞いていたんだ。ハシはその音に感謝した。体中にみなぎる力と圧倒的な至福をもたらしたその音に感謝した。その音を憎むことはできなかった。ハシは母親を許した。・・・僕は負けない、この女は殺さない、決して心臓の音を消さない・・そうだ、心臓の音は信号を送り続けている、この狂った妊婦の腹にいる胎児も同じ信号を受け取っている。ハシは息を吸い込んだ・・母親が胎児に心臓の音で伝える信号は唯一のことを教える、信号の意味は一つしかない。・・ハシは声を出した。初めて空気に触れた赤ん坊と同じ泣き声をあげた。もう忘れることはない、僕は母親から受けた心臓の信号を忘れない。死ぬな、死んではいけない、信号はそう教える、生きろ、そう叫びながら心臓はビートを刻んでいる。筋肉や血管や声帯がそのビートを忘れることはないのだ。
ハシは妊婦の顎から手を離した。赤ん坊と同じ声をあげながら女から遠ざかる。無人の街の中心へと歩き出した。ハシの叫びは歌に変わっていく。聞こえるか? ハシは彼方の塔に向かって呟いた。  聞こえるか? 僕の、新しい歌だ。
(ダチュラによる破壊が猖獗する中で、ハシは鉄柵に囲まれた精神病院の檻を脱出した p553〜p562)


どうだ?
・・・・

・・改めて「コインロッカー・ベイビーズ」を読んで、村上龍という男に感銘を受けた
もはや何一つ言うことはないな、 彼は天才であり、 いい奴だと思った

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この記事へのコメント

ママジャム
2021年02月27日 03:50
このブログを読んだだけで感動しました。