アロハを着たハンター(五千年前と同じうねり)

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メルヴィル 著 「白鯨 (上)(下)」読了

「わたしがこの巨鯨族を手玉に取ろうと企てた以上は、この企てを遂行するに博覧傍証いたらざるなく、その血液の最微の胚子をも看過せず、その腹腔の最大の巻束までも解き延ばし、いっさいを網羅曲尽して余薀なからしめる決意をみずからに許すことが肝要である。」 p 137

そのあとに 鯨文士としてこの上なく雄大な主題であり、雄大な論文だともメルヴィル自ら冗談めかして書いている。
まさに博覧傍証いたらざるなく下巻の半ばまでさして面白くもなく 、いささか骨がおれた。

講義は結構だけど、復讐鬼・老エイハブと巨大な白鯨モービィ・ディックの対決はいつ始まるんだ?
忍耐の緒が切れかけんとした時、博覧傍証もなく物語は一気に佳境に入り、それまでの鬱屈も吹き飛んで圧巻の結末へと疾風・怒涛・雷鳴と稲妻の如くなだれ込んだ。

追撃ー第一日・追撃ー第二日・そして追撃ー第三日

「船の舳から、水夫のほとんどみなは何もせずにぶら下がっていた。金槌や、船板の片端や、槍や銛など、かれらが折からやっていた仕事からいきなり駆けつけて来たまま、機械的にそれらの物を手に持ったままだ。かれらの魅入られた眼はじっと鯨の姿に注がれていた。鯨はかれらの運命を予告しているその頭を、奇妙に右に左に揺するので、驀進する彼の前に噴き出る白泡が広い帯となって進んで来る。迫害への報復、即座の復仇、永遠の悪意、巨鯨の全姿にそれらがふくれあがって、弱い人間の力に何ができようとできまいと、鯨の額の堅固な白い砦は、船の右舷の舳を打ち破り、人間も船材もゆらゆらとよろめいた。ある者はうつぶせに海に落ちた。振り放された檣冠のように、檣上の銛打ちらの頭は、かれらの牡牛のような頸の上で揺れた。破れた個所から、山峡を流れる奔流のように、海水のなだれこむ音をひとびとは聞いた。」
・・・・・p 521

「・・銛は飛んだ。撃たれた鯨はまっしぐらに奔躍した。灼熱の速さで索は溝を走ったー走りつつ縺れた。エイハブは屈んでそれをほぐそうとした。たしかにほぐした。が、飛び立った索の一巻が彼の頸に巻きつき、死刑囚を絞るトルコ人の唖の刑史のように、声もなく、彼をボートから引っ攫って行った。乗組の者は彼がいなくなったことさえ気づかなかった。次の瞬間、索の最末端の重い索目が、すっかり空になった桶から跳び出し、一人の漕手を打ち倒し、次に海を撃って、みずからの重みで沈んだ。」

「・・朦朧たる蜃気楼のなかのように、混沌たるこう気の媒質に隔てられて、斜めに薄れ消えゆく船の幻・・そしていま、渦潮はこの小さいボートそのものをも捉えて、その乗組も、ただよう櫂も、槍の柄も、すべてを巻きこみ、生ける者も非情の物も、みなただ一つの渦のなかにめぐり、めぐり、ピークオド号のただ一片の木屑までも、視界の外へ運び去られた。」 p 523

「・・・やがてすべては潰え滅び、大いなる海の柩衣は、五千年前と同じうねりをうねりつづけた。」p 525

主役は語り役のイシュメールなのか、エイハブなのか、モービィ・ディック(白鯨)なのか、あるいはピークオド号の様々なクルーなのか、捕鯨そのものなのか、はたまた五千年前と同じうねりを続ける海なのか、鯨文士メルヴィルなのか?

エイハブの武勇伝でなかったことだけは確かなようでもあり、海や多くの屠殺された鯨によって処刑されたかのようなエイハブの最期の書き方にメルヴィルの思いの一端を垣間見たようにも思う。

しかし又、復讐鬼と化した狂人であり、孤独な片足の男であり、時に天に向かって饒舌な詩人でもあるエイハブが、完全に否定されたわけでもないだろう。

東洋も西洋も良くも悪しくもこうした捕鯨の歴史を重ねてきたのだ。

モービィ・ディックは数々の銛をその身に受けながらも、一方的な殺戮者に天誅を下し、生きて五千年変わらぬうねりの彼方に消えて行った。

殺戮の物語を浄化するわずかな希望がそこにあった。

      
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