アロハを脱ぎ捨てたハンター(ディケンズに見た「ロビンソン漂流記」)

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ディケンズ著 「クリスマス・キャロル」 読了

夏至も過ぎて梅雨が終わるのを待ちわびるこの頃に、何故だか「クリスマス・キャロル」を読んだ。

ある日、世俗一点張りのスクルージ爺さんのもとに7年前に死んだかつてのけちな仕事仲間のマーレイの亡霊が鎖を引きずって現れた。
「これは生きている時に自分で作った鎖なんだ。それに今つながれているんだ」 「鎖の環の一つずつ一つずつ、一ヤードまた一ヤードを、我とわが手で作ったのだ。私はその鎖を自分から進んで身に巻きつけたのだ。自分で好んで身にかけたのだ。この鎖の型はお前さんには見覚えのないものかね?」
「それともお前さんは自分で巻きつけている頑丈な鎖の重みと長さを知りたいのかね? 七年前のクリスマス・イブにはお前さんのも私の鎖と同じほどの重さがあり、長さも同じだったが、あれから引き続きせっせと骨折って太くしているんだから、今は途方もなく大きな鎖になってることだろうな!」

「お前さんのところへ三人の幽霊が来ることになっている」と幽霊は告げ、寂しい闇の中へ飛び去った。

第一の幽霊がスクルージを連れてきたところは、過去のクリスマス 過去のスクルージだった。
大きな家が没落したもので、広い台所も今では使われず、壁はしめっぽくて苔が生えていた。窓はこわれ、門はくさっていた・・・ 朝は暗いうちから起きて、ろうそくの光をたよりに働いていながら、まんぞくな食物も得られないといったような暮らし向きが思われるのだった・・・
暗い部屋が見えた。中には何の飾りもない、松材の腰掛や机が幾列も並んでいて、それがなおのことあたりを殺風景にした。一つの机にしょんぼりとたった一人で、ほたるのような光にあたって、男の子が本を読んでいた。スクルージは自分も一つの腰掛にすわった。今の今までまったく忘れ果てていた遠い昔の、いじらしい自分の姿を眺めて泣いた。

「あそこにおうむがいる」とスクルージは叫んだ。「緑の体に黄色のしっぽで、あたまのてっぺんから、レタスのようなものを生やしてるよ。島を一周りして来たロビンソン・クルーソーに、あのおうむが「かわいそうなロビンソン・クルーソー、今までどこに行っていたの、ロビンソン・クルーソー」って、こう言ったんだな。ロビンソン・クルーソーは夢かと思ったけれど、夢じゃなくて、おうむだったんですね。やあ、フライデー(召使)が、小さな入り江をめがけて夢中になって走って行く!おおい!しっかりい!おおい!」
こんなことを言いつづけていたが、そのうちいつものスクルージとは似ても似つかぬ気の変わり方を見せて、急に昔の自分をあわれみ出し、「かわいそうな子だ」と言って再び泣いた。


ついこの前わたしを励まし勇気付けてくれた「ロビンソン漂流記」を、世俗に染まり果てたスクルージ爺さんも、とうの昔に忘れた少年のころ読んでいて、ただ夢も打ち消す冷ややかな現実ばかりに取りかこまれた少年時代にもこうして密やかに希望と命をつないできたのだった。

「ロビンソン漂流記」発刊 1719年  「クリスマス・キャロル」発刊 1843年


人の人生の本質など、どれだけ文明が発達し物に溢れ情報が瞬時に世界を飛び回っても何ら変わることの無い単純なものだ。そして先人の冒険の輝きも教訓の重さも何一つ変わらない。見失うことはあっても何一つ変わらないのだ。


           
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