錦川 2

愛宕橋をさらに下ると川下の楠木巨木群を境に、今津川と門前川に分かれる。今津川の方に掛かる橋は、今津川橋、大正橋、寿橋、新寿橋、れんぼ橋、新れんぼ橋とすでに全部歩き、渡ってみた。ならば門前川の方も歩いてみないわけにはいかない。川上から門前川橋、愛川橋、門前橋と風に吹かれながら土手沿をゆっくりと下る
日々人生の答え合わせをしている感のある冷ややかな自分がいる。望むと望まざるにかかわらず、迎えつつある人生終盤の、これもそうした広義の答え合わせの一つのような気がして、確かな縁がありながらも、今までほとんど真正面から向き合うこともせず関わりを持とうともしなかったこの街、この川の、あらゆる表情を見逃すまいとしていた
尚、多くの未知を残しながも、自分という存在を筆頭に自分の人生を構成する社会を含めた多くの構成要素の結末、顛末、を見てきた。そこから翻って、そのものの正体が何であったか、もはや歴然とした、それら事実の多くに改めて愕然とする
それが人生の答え合わせだ
だが、その答えを知っていたらどうだというのか
ほとんどは正解にも関わらず
正解と結論づけて愕然とする
癌かもしれないと思いわずらいつつ
癌と宣告されて愕然とするに似ている
だからと言ってどうにもならない
結果は変わらない
それが自分に与えられた人生なのだと
毒を飲み込むように納得せざる得ない無念
答え合わせとはそういうことだ
そして、そうした時に
川や街や橋や草木や猫や鳥や
あらゆるものの無念が見えてくる
何故、今になってこの川のあちこちを
巡礼のごとく行脚するのか
この川の、この街の、顧みられることのない
ひたむきに忍び続けてきた無念を
歩くことで、見ることで、慰撫してやりたい
俺を動かす衝動とは、たぶん
そんなことだと思うのだ



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