錦川

D6268F69-7023-428D-987C-B4A7B21115F0.jpeg吉川広家の裏切りは単に関ヶ原の戦いの一事に留まらないと俺は思う。米子城から岩国三万石に封じられてからも、長州藩に対して表面上はどうであれ、防長二国の出口の蓋としてこれを監視し、徳川幕府に逐次状況の報告をし続けたと思われる。岩国藩は同じ毛利でありながら長州藩に対する面従腹背の裏切りを、幕末に至るまで二百五十年間し続けたのだ。岩国城の真の目的は、毛利方の守りであるどころか、徳川方の毛利に対する最前線の備えではなかったか

そんな裏切り者の吉川岩国藩が、それでも受け継ぎ育んできた彼らなりの何がしかの誇りの結晶が錦帯橋であるならば、これを渡ったところで御利益なんぞは期待出来ない

裏切り者の街であり
長州にあっては長く無視され、孤立した街
今尚アメリカに犯され続けている在日米軍の街

錦帯橋から下って臥龍橋、愛宕橋、今津川橋、大正橋、寿橋・・
中洲の最上流にそびえる楠群

ここが明治元年、正式に岩国藩として認められたときの皆の喜びはいかほどであったろうか。廃藩置県後、新国家日本の一員としての過去の頸木から解放され、明治・大正の新しい時代を迎えた時期の喜びと活気がどれほどであったかは想像に余りある

その時代の気分は、大正・昭和と活躍した宇野千代がこの地から出たのをみても分かる

白崎八幡宮に今津天満宮
白蛇神社で今も白蛇が守る街

帝人支配の痕跡もまた
活気を呈した時代の名残りを痘瘡の跡のようにあちこちに残す

俺の血の源流の一つでもある街

佐々木小次郎こそ、颯爽とした英邁な男としてこの街の象徴にしたいところだが、不幸にして宮本武蔵に敗れた

錦帯橋の一つ下流に臥龍橋がある
錦川の一番深いところには今も龍が臥せっている

愛宕橋から今津川と門前川分かれとなる中洲の最上流楠木町の楠木の大木群までの一帯は、今もこの地本来の荒削りな雄大さがある

たかが四百余年の表層の歴史など
錦川の底に臥した龍と地神たる白蛇にとってはとんだ不名誉な災難であり
彼らにとっては知ったことじゃない

街を歩いてみると今も営みを続ける古い醸造所に出会う
中津町にある酒井酒造の「清酒五橋」や今津町にある八百新酒造の「雁木」を正月にでも呑んでみるかという気になった

第二次世界大戦後はかつての禊をするかのように米軍海兵隊基地を川下に抱え、今はどんな発酵をしつつあるのか

味わってみようと思うのだ
心は臥龍や白蛇とともに

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この記事へのコメント

ママジャム
2020年12月15日 06:11
素晴らしい! の一言につきます。歴史探訪をまた期待しています。