岩国城

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正面にあるロープウェイではなく、たぶんあるであろう登山道から

いつだったか遠い昔、ロープウェイで一度登ったことはあるが、麓の吉香公園の芝生やベンチで寝転べば まず視野に入る山頂の天守ではあっても、天下分け目の関ヶ原の戦いの際、毛利方でただ一人確信犯的に家康に通じた裏切り者の、しかも築城後七年後には一国一城令で廃城になった惨めな山城など登ったところでしょうがない

戦うべき時に戦いもせず、毛利家は関ヶ原の戦い後に防長二国に移封され、自らは米子城から岩国に三万石で封じられ、八年の歳月を費やして何の為の山城か

資本主義に毒されたロープウェイではなく 登山道からなら、媚びる対象が家康から観光客に変わっただけのコンクリートのモニュメントを戴く横山散策にも、あるいは新たな意味を見つけることだってあるかもしれない

その着想に少しだけ気を良くして
紅葉に染まる山道を一時間弱かけてゆっくりと登った

見上げるばかりだった白い天守を背に、蛇行する錦川とそこにかかる幾本もの新旧の橋と上流から運ばれてきた土砂の堆積の上に城下町として発展してきたであろう古い街並みを見下ろした

(長州藩の支藩とみなされるが、長州藩では幕府に岩国領を支藩とする届けを出しておらず、吉川家は毛利家の家臣であり、徳川家の陪臣であるによって諸侯(大名)に非ずと主張してきた。正式に岩国藩が認められたのは、木戸孝允の進言などにより大政奉還後の1868年3月、新政府によってのことである。
1871年、廃藩置県によって廃藩となる。幕末においても佐幕的態度を示したが、第二次長州征伐・四境戦争においては、芸州口で幕府軍と交戦し、これを撃破することに貢献した)

戦後は米軍岩国海兵隊基地と海上自衛隊岩国航空基地を置き、関ヶ原の戦い以降、常に二律背反的なものを抱えるこの街はどこか分かりづらく、見えざる荒廃を抱えており、あまり好きにはなれない街だった。だが同時に、その分かりづらい奥に時折光る妙な魅力に ようやくこの頃気がつき始めているのも事実だ

対峙する向こう側からの視界を得た時、従来の視界とプラス・マイナスが相殺され、未消化の何かがスッと消え失せた気がした
初冬の眼下に時を超えて流れる清流と街並みは ただ静かで、清々しかった

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この記事へのコメント

ママジャム
2020年11月30日 05:37
とても分かりいいエッセイだと何度か読み返しましった。
次も、このようなエッセイが読みたいものです。