快楽への挑戦

酒池肉林がすなわち快楽ではない
だがそれも立派な快楽である
贅沢がイコール快楽ではない
それでも快楽の王道には違いない
快楽を語るには我が人生は
あまりにもお粗末だ
だが快楽が人生において高等なものであることは
多くの快楽に足を踏み外した俺としては
ようやくたどり着いた答えの一つであるような気がする
快楽を肉体的とか精神的とか
あれこれ注釈を入れるのも大した意味はない
快楽は快楽だ
快楽は自立の証明であり
満たされているという愉悦の稜線であり
カルマから解き放たれた輝く時間である
ただ快楽が高等なものであっても
これに浸る者が直ちに高等であるとはならない
快楽は堕落や破滅へのとば口でもあり
高等でない者に快楽は持続し得ない
その取り扱いは至難といえる
大金を持ち慣れない奴が金を手にしても
更なる高額な借金をして身を持ち崩すのが相場のように
あるいは原子炉の火のように
その制御はまさに高等な知性と成熟を必要とする
つまり快楽とは危険ではあるが自発的な発光であり
真の自立、宇宙で言えば太陽になる道である
太陽以外の惑星や衛星は言うまでもなく
太陽に依存する惨めな奴隷か下僕でしかない
銀河に散りばめられた二千億の恒星の快楽と
その周りのすべてを埋め尽くす闇と苦
闇、若しくは苦は原初的なものであり 無作為かあるいは受動的なものだ
仮に重厚であると言ってはみても存在として自立していない
自らの快楽を見つけ出し
自らの快楽に生きる
その挑戦を忘れたら宇宙でも
ましてや人間社会においても
さもしいだけの ただのゴミなのだ


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