夏至過

人々の疑心はマスクやアルコール消毒やソーシャルディスタンスに明らかな痕跡として形骸化され、流行廃れたファッションのように無感動に表明され、極めて狭い人間社会の中で、あらぬ厄災を祓うと同時に、自らが安全な存在であるという擬態を強いられ続ける鬱屈と滑稽があるばかりだ
東日本大震災以降あらゆるメディアを通じて絆というフレーズが喧しく聴こえてきたが、コロナ禍はこれを強烈に分断するものだと言える
ただでさえ社会というかたまりを作ってその中で生きるしかない人間という悍しい生物が、さらに相互の依存、連帯、扶助を呼びかける絆がどうのと・・
腐り切った鼻の曲がるような偽善と甘えが社会を覆い
ある意味での終末を予感させてはいたが
緊急事態宣言が全面解除され、こうしてコロナ禍をある程度俯瞰できるようになると、これも荒れ放題の人間の森を再生する野火であったと思えてくる
そしてそれは甚だ不十分であった
梅雨の方は、昔に比べればどうも梅雨らしくない
晴れ間が適当にあって、これならなんとかやっていける
気候変動がこの国の梅雨を不十分なものにしたとするなら
それが稲の生育に支障がない程度なら結構なことじゃないか
夏至を挟む一か月余りが雨雲の下にあるという呪い
どういう訳だか解けちまったのならこちらの不十分は大歓迎だ
破れちまった梅雨の下で
こぼれ落ちる真夏の太陽の日差しをあびる
マスクをはずして青空に裸顔を晒し
夏の匂いをかいでみる
いつまでもこんなことして
擬態している場合じゃないだろ
やるべきことをやらなきゃな

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貴方なら何かやれる