ケイズ・バー(言葉と沈黙)

文字は原子であり高分子   言葉は細胞 

     文章となると臓器や ちょっとした生命体だ

 普遍的な詩や小説となると これはもう一つの恒星か 星雲と言っていい。
 
心と体 精神と肉体 光と闇 二元論的な切り取り方は散々してきたが言葉に対するものは何だろうとふと思った。
       無 死 闇・・・・・      「沈黙」しか思いつかない。
 
 反語でもないし 微妙に違うようにも思えるが他に何があるだろう

この 言葉と沈黙という対比に  

        何か決定的で深い示唆を感じるのだ

有と無 光と闇 生と死 ・・みな同じことを言っているといえば 確かにそんなもんだが

言葉と沈黙という対比には それらと同等かそれ以上の根源的な対比のような予感がするのだが どうだろう。


新約聖書の 「初めにに言葉ありき 神は言葉とともにあり 神は言葉なり」  
とまあ2000年前から書かれいることではある。

かたち有るものはすべてそれ以前に思いがある。 思いを具現したものがかたちだろう。
それは凡夫の日常から見ても理解できるしごく真っ当なことだ。

その思いとは言葉だよね。 

その言葉と沈黙を対比する時 より一層言葉の意味が分かる気がする。


宇宙の創造主は 人間の創造主と同じだろうから 人間の言葉も宇宙の原理も同じだとしよう。
現に宇宙は素粒子物理学でその謎が解明されてきているわけだから 言葉と沈黙を宇宙と対比してみても詩的にはあり得るよね。

「言葉 」 とは  思い かたち 恒星 光 生 命 有 DNA

「沈黙 」 とは  無 闇 暗黒エネルギー 暗黒物質 死 反物質


宇宙の中でこの対比をみたとき これだけのものがそれぞれの言葉に負託できることを思うと
新約聖書の言葉が一宗教の象徴的な表現にとどまらない何か凄いことではないかと思えてくる。

人間は科学を発達させバイオテクノロジーも大変な進歩を遂げているのだろうが まだ生命を作ったという話は聞かない。
しかし 今や地球はIT革命もあってインターネットやら携帯やらさまざまなメディアで言葉が溢れかえっている。
生物学的な生命は作り出せてなくても 広義のいのちは爆発的に産み出されていると言えないか。
言葉は生長し繁り進化し 人間が神の作った一編の詩であったとして その詩が新たな命を無尽蔵に作り出している。

書き散らかした散文詩のようなDNAと 人間が言葉で何かを伝え表現しようとするこの不可思議な行動は 親の真似をする子の仕草とは言えまいか。


        神は言葉を発し 神は沈黙した。

             星降る夜空を思うとき 神の饒舌と寡黙を知る。