アロハを着た異端(再び戻って来た?!)

5月のある日 宅地建物取引主任者の2回目の法定講習を受けに 不動産会館に来ていた。

9時30分から17時まで まる一日の講習だ。

昼休み 自分の席で予約した弁当を食い終わって ゴミを捨てに立ったとき 声をかけられた。

佐藤さんだった。

10年前の失業時 職業訓練で宅建のコースを選択し 3ヶ月間 一緒に勉強した男だ

あまり聞いたことのない上場企業の総務で 課長か部長程度のポストにいたようだが その会社が倒産したとのことだった。

ざっくばらんで面白い男だったので ほかに2人のそこでできた友達を加えて4人でいつも 昼休みは学校の近くの定食屋で飯を食っていた。

「いやぁ 失業してもかあちゃんはやらしてくれる いいもんだ」とみなを笑わしていた。

当時 みんなで二三度飲みにもいったし ゴルフもした。
 クラスの中には 美人で賢いマドンナもいたし 人生の拾い物をしたような楽しい学園生活だった。

 試験は4人とも合格したがマドンナが不合格という 一抹の寂しさを残して学園生活は終わった。

会うのは きっかり10年ぶりだ


当時 近くの工場で派遣の清掃をバイトでやっていると言っていたが 今も続けているらしい。

兄貴もね 教員をやっていたが 離婚して郷里の萩の実家で一人で暮らしている。これが最近少しボケてきてね しょっちゅう帰ったりして結構いそがしいよ。 

しかしまあ 悠々自適の生活でしょうと水を向けると 昨日はゴルフのプライベートコンペで ハンディ18で優勝したよと破顔した。

宅建の免許は一度も使ったこともないし これからもないと思うけど なんか愛着があるんだよね。

やがて 午後からの講習が始まった。
弁護士や国土交通省の役人の話にまどろんだ。

16時30分 講習が終わり 前列から順に退席。新交付の取引主任者証をもらって帰ってくださいとのことだった。


俺の番がきた。

左斜め後方に座っていた佐藤さんに会釈して側を通り過ぎようとしたとき 佐藤さんから また5年後にここで会いましょう と笑顔を向けられた。

昼休憩のとき 珈琲をのみながら 次は俺も70なんだよね。更新はこれが最後かもしれんね。と言っていたことを思い出した。


あの時 佐藤さんはまだ55才だったんだ

わずかに下に団塊の世代を抱え 総務上がりではつぶしもきかないだろう

女房の実家に養子ではないが養子同然に暮らす萩出身の次男坊

畑もある でかい家もあるのだろう 女房も働いているのだろう  子供も独立したことだろう

年金も満額もらえるようになった。


しかし あれから10年 なにも変わらず同じ工場の掃除夫をしてきたというのか。

それを 生きるとはそれほどに厳しいと言うか 情けないと言うか 人生とはそんなもんだと言うか
発言は留保する。

バカな男ではないのだが 女房の実家に住み 暇をみて兼業農家の真似事をし 日に3時間程度のバイトをし
仲間内とゴルフやら何やらでわいわいやって 一丁上がりの人生なのか


俺の10年は どうだったか・・
 少なくとも 歳も違うし状況も違うが 俺はこの男とは全く違う。

凡夫に対する嫌悪が止め処もなく湧いてきた。

この糞だまりから 一刻もはやく抜け出したいと思った。

こんな糞だまりのなかで ことばなど何の意味もないと思った。


6月はじめに このブログを狂人志願というテーマで始めたが そのころ消化不良のなんとも言えない嫌悪感と憂いが底流にあった。

凡夫が自己実現を目指したところで 凡夫がたどり着くとこは凡夫以外にないではないか。
    そうぼやいたものだ。

そして今 なんやかや言葉の力を感じつつ 言葉の流れにまかしてきたが ふたたびここに戻って来たというわけだ。

 アイデンティティーという この難物の前に。