アロハを着た異端(今という頂)

荒野はあった


シンと静まりかえった 月のクレーターのような沈黙の海

凍てつき寒風吹き荒ぶ 絶界の氷原

炎天に焼きただれた 褐色の大地

岬の先に黒々と広がる 不気味な質量感で圧倒する大海の果て

  今という頂(いただき)の その先


荒野とは 死だ

  かつて居た場所であり これから行くとこだ

畏れ そして魅了してやまない 禁断と約束の地だ


そこに牢獄はない

 肉も煩悩も 宿命もDNAも 認識もない

              低気圧も梅雨もない 湿気もない


豊饒という糞だまりに生きて 何かが違うと思った

   それが牢獄ということばだったのか

 ならば 牢獄とは生か     牢獄とは生そのものか



遠いむかし 五木寛之の「青年は荒野をめざす」を読んだ。

 青年はいつだって未知なるものを目指す

   未知なる世界 未知なる自分 未知なる未来

しかし 本人が考えもしない潜在意識の奥深くで

            若さゆえに突き動かされる死に対する衝動とも言えないか

       人はみな生まれたときから 死をめざしているのだから


何かの本で読んだことがある

 生死の明滅をもって生という 死ねば死もなくなるのだと

生きていればこその死なのだ 

 朝起きて 夜眠る。

 今の頂(いただき)と その先にひろがる死(虚空)の明滅


考えてみれば 日々刻々生死の明滅こそが生きていることなのだ。

 
現在・過去・未来などと 人間がつくったおとぎ話だ

現在が常に過去に更新され その蓄積の総体が自分であり その延長線上に未来があると。

そのおとぎ話のなかで ひとはみなかまびくしく そしてのたうつ。


今という頂のそのまた頂に 過去の更新され蓄積された自分という認識が入り込む余地などどこにもない

頂は自分という認識のその前にあり その先は死であり そのあとも死なのだ


生は頂の一点にのみあり 夜空に瞬く星のようなものであり まわりは広漠とした闇がひろがるばかりだ。


              荒野なのだ 

                     荒野なのだよ
 

 青年が荒野をめざすのは 豊饒という糞だまりにあって 

     死というよりも 生の真理に迫ろうとする衝動なのだ。

 

 俺たちは 今という頂 今という岬の果てにいる

     眼前にひろがるもの それは 荒野 

                         荒野なんだ。